第6章 取引先の社長はパンチパーマで怖い【社畜もなかなか悪くない】

やかましい蝉の声がそこかしこに響く中を、おれと安藤は歩いた。今日も35℃を越えているそうだ。真夏の暑さがジリジリと、不快にスーツにへばりつく。外回り営業は、こんな暑いときでもネクタイと上着が欠かせないから困ったものだ。早く日本の習慣ごと変えてもらいたい。

「ここです」

 安藤が指さした。

 問題の黒岩特殊板金は、東京都大田区にある小さな工場だった。大小様々な工場や事業所が並ぶ一帯の隅、小さな路地に面して建っている。どんな業務かまでは分からないが、工場の規模から考えて、とうていあんな大口の注文をする先 には見えない。

 この会社は、2ヶ月ほど前に、安藤が一人で飛び込み営業をかけていた先の一つだそうだ。担当者と面会することはできたが、それから昨日まで全く音沙汰はなかったと言う。それが突然の大量注文とは、どのような料簡なのだろうか。

 工場の入り口の脇にある小さな作業小屋が事務所のようだ。おれたちは緩めていたネクタイをきちっと締め直し、ドアを開けた。

「失礼します。北大阪パイプです」

 還暦は過ぎているであろう小太りの女性が、顔を上げた。

「社長は電話中だから、ちょっと待っててね」

 おれたちは会釈して部屋の隅に立つ。

 おそらく10畳ほどしかない室内は、机が4つか5つ並んでいる。一番奥の席に座る人物まで距離がなく、こちらの会話は筒抜けになるだろう。おれは安藤と目配せだけした。

 室内には、事務の女性と奥で電話している人物の二人しか見当たらない。書類の山に隠れて表情は見えないが、奥の人物が社長で、担当者なのだろう。どうやら客先と電話しているらしく、物柔らかそうな話し声に時折笑いが混じっている。声だけから受ける印象では、今朝の電話してきた人物とは思えないほど温和な感じだった。

「北大阪パイプ?」

 いつのまに電話を終えたのか、奥の机の書類の山の上から、ドスのきいた顔 が覗いていた。目の鋭い具志堅用高 といった感じだろうか。いかにも昭和の男という雰囲気が漂うパンチパーマにギラギラした目をした初老の男性が、こちらを睨みつけている。

「は、はい、あの先ほどは大変失礼しました」

 安藤は、ビクッとなって、おれが見たこともないような勢いで直角に頭を下げた。おれも釣られて頭を下げる。

「初めまして。私は係長の向田と申します。安藤とのお取引の際に不手際があったようで、大変申し訳ありません」

 このような頑固を絵に描いた性格の客ともめたときは、まずは一言騒がせていることを詫びることが大事だ。しかし、トラブルについての謝罪にならないように注意しなければならない。

「私もお話をうかがえればありがたいのですが、同席させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「それは構わないんだがね。こっちはとにかく、間違えて納品されてるパイプをさっさと引き取ってもらってたいだけなんだよ」

 その男性は立ち上がると、ズカズカとこちらに近寄ってきた。作業着姿で、名札には「社長 黒岩」とある。

「そのことで、2,3お聞きしたいことがありまして…お時間少々よろしいでしょうか?」

「だから何よ?」

 黒岩社長は、イラついたようにカウンターから乗り出してきた。さっきまで聞こえていた温和な口調とは正反対の剣幕だ。どうやら客先と仕入先とでキャラを意識的に変えているらしい。こういうタイプは理屈家 が多く、厄介になることが多い。

 おれは、安藤から注文書を出させながら話す。

「ご注文いただいたこちらのパイプについて、弊社から納品したものが違うとのことで今朝ご連絡を頂いたとうかがっておりますが、その注文書を確認いただけますでしょうか?」

「注文書ならこっちにも保管してるから。その上で違うって言ってんだけどなぁ」

「はい、仰るとおりと思いますが、念のため…注文いただきましたパイプはこちらで間違いございませんか?」

 おれは安藤から渡された注文書を開いて見せた。

「ああ、これだろ」

 黒岩社長は、ロクに目も通さずに答えた。

「ご連絡いただいたものはシームレス管とのことなのですが、ご覧頂いた通り注文書には、溶接管になっているんですが…」

 そこまで言うと黒岩社長は、注文書をひったくるようにして目を通した。

うちの会社の場合、シームレス管の場合、注文書には「SM 」と記載してもらうことになっている。その表記がこの注文書にはない。

 しばらく目を通していた黒岩社長だが、やがて注文書をおれに突き返した。

「こんなこと言いたくないんだがね、そっちの不手際だろう。こっちがFAX した注文書には、ちゃんとSMって書いてあんだよ」

「しかしそうは言われましても、こちらでお受け取りしている注文書には…」

「だから、そっちの不手際って言ってんだろ!FAXしたときにかすれて文字が消えたとか、そこのぼっちゃんが消したとかさ!」

 おれはさすがに不快感を感じずに はいられなかった。おれの部下をぼっちゃん呼ばわりし、さらに隠蔽したかのように言い放つのだ 。

「社長、さすがにそれは…」

「うるせぇな!それとも何か?おれが注文書を見間違えているとでも思ってるのか?何なら見せてやるよ」

 社長は言い放つなり、机に戻り書類を持ってきた。黒岩特殊板金から送った注文書だ。おれと安藤は揃って目を通す。

 …確かに、シームレスを意味する表示「SM」と書かれている。おれと安藤は顔を見合わせた。

「お前たちの会社は、どんだけ無礼な会社なんだろうな。そっちのミスをうちになすりつけようとするんだからなぁ」

 社長の罵声を聞きながら、おれはもう少し書類に顔を近づけて覗き込んだ。

 確かにSMの文字はあるものの、他の文字とかすかに色や文字の濃さが違う。これはおそらく、発注した後でミスに気付き、違うペンで慌てて付け加えたものではないだろうか。「SM」という文字だけ、殴り書きしたようにも見える。

 しかし、それを指摘するには、あまりに立場が悪い。さすがに角が立ちすぎるだろう。

「な。分かったらさっさと引き取ってくれ。そんでうちには一切来ないでくれ。いいな?」

「あ、でも社長…」

 取り付く島もない社長の態度に、安藤は今にも泣きそうな顔になった。

「でもじゃねぇだろ。だいたいシームレスの表記がなくても、こんなもん金額でだいたい分かるだろ。アンタらプロなんだろ?」

 ぐっ、痛いところを突かれた。社長の言うことに間違いない 。

「アンタらはよ、金額の差に気付いてんのに客先から金をむしり取ろうとする人情のカケラもない人間か、もしくは気付くこともできないバカか、どっちかなんだよ」

 返す言葉もない。おおむね社長の言うところの前者は安藤のことで、後者はおれのことだろう。おれが来たところで、何もなす術はないのか…

 ふと、もう一度注文書を見ると、発注担当者の名前が目についた。「柏木」とある。柏木?今目の前にいるのは「黒岩」社長のはずだ。この黒岩氏が発注した案件ではないのだろうか。もしかしたら、後から「SM」という文字を付け足したのは…

「社長の仰るとおりです。私たちの確認不足のために、多大なご迷惑をおかけしておりますことは申し訳ありません。ぜひお詫びを、発注された担当者様にも申し上げたいのですが、柏木様はいらっしゃいますでしょうか?」

「あいつは今いねぇよ」

 ふいに黒岩社長が顔を横にそむけた 。決まりが悪くなったような仕草だ。

 間違いない。この柏木という者にも確認する必要がある。

「かしこまりました。それでは本件は、担当者であられる柏木様にもお詫びさせていただいた上でお話を進めさせて頂きますので、本日はこれで失礼します」

 おれはそれだけ言うとそそくさと頭を下げて部屋を出た。安藤もおれに続く。

 呼び止められてまた「持ち帰れ」と言われると面倒だったので、早足で事務所を離れたが、特に呼び止められることはなかった。

「係長、これでいいんですか?」

 安藤が心配そうに言った。

「この件は、あの黒岩社長じゃなく、発注担当者の記入ミスだった可能性が高い。柏木って名前を出したとたんに、黒岩社長は顔をそむけただろ」

「そういえば…」

「その柏木ってやつにも会わないと話を進められなさそうだ。とりあえず今日は戻って、支店長に報告だ」

 おれたちは、ちょうど停車していたバスに飛び乗った。バスのドアが閉まってから歩いてきた道を振り返る。背後に黒岩社長が迫っているかも、という恐怖が残っていた。

第7章 社畜は何がいいのか【社畜もなかなか悪くない】

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1982年生まれ。 専門学校卒業後、シナリオライタースクールで約学ぶ。ラジオドラマで、著者の作品が採用され、番組化された。 その後、営業職に就くが、仕事の合間にボイスドラマ制作サークルを立ち上げ、脚本やディレクションを担当。 10本以上の作品を制作し、ポッドキャストで無料配信した作品は、ランキング1位獲得。全国的にも有名なサークルへ成長する。 その後、結婚を機にサークル活動は引退。 1人で作成できるweb小説を書き始め、コンクールで入賞。 その後、コピーライターのスクールに入り、webマーケティングを学ぶ。 現在はコピーライターとして週末起業。ブログ記事作成や、LP作成、ステップメール作成、補助金申請書類作成代行等を行う。 顧客は、整体院、書道教室、コンサルティング会社、オーダースーツ、工務店、結婚相談所、エステサロン、服の修繕業者など多数。 家族は妻と2歳の長男、セキセイインコ。 将来の夢は、ライティングで独立し、芸能プロダクションを設立すること。