「調子こいてんじゃねぇぞ!」
おれは荒谷の怒声とともに、派手に地面に叩きつけられた。
目玉の解剖を終えて教室に戻る途中の廊下で、おれは彼に突然襟首をむんずと掴まれ、中庭まで引きずられる。
そのまま地面にドン。壁ドンならぬ地面ドンだ。
時刻は昼休み。中庭のベンチに座って弁当を広げようとしていた生徒たちが、おれと荒谷を見て一斉に散っていく。
荒谷はそんな光景も気にかけないほどご立腹の様子だ。荒い呼吸でおれを見下している。
「調子はこいてないけど?」
おれは、倒された衝撃で少し息苦しかったが、取り繕って彼を見上げた。
こんな訳も分からない理不尽な行動があるだろうか。ふつふつと怒りがこみあげてくる。
「何に怒ってんの?」
「お前が…あれだ、調子こいてるからだよ!」
今度は蹴りを入れてきた。おれの肩にヒットし、鈍い痛みが走るが、腕で体を支える。
何という語彙力のなさ。まるで小学生だ。いつもと明らか違う。
彼がそこまで逆上するほど、おれに対して気に食わないことがあったのだろうか。
例えば…
おれはさっきのある光景が、フッと頭に浮かんだ。
「荒谷、もしかして福田が好きとか?」
そう、さっきの理科室での授業中、おれと福田のやりとりを荒谷が離れた席から見ていたことを思い出したのだ。
あのときの彼の目からは、嫉妬のようなものが感じられた。
おれの言葉を聞いた荒谷は、一瞬で顔を真っ赤にした。
「プチッ」と、彼の中で何かが切れた音が聞こえたような気がした。
「んなわけねぇだろ!てめぇの上から見下ろしたような冷たい目が気に食わねえだけだよ!」
見下ろしてるのはお前だろ…と思う間もなく、荒谷は間断なくおれに蹴りを入れる。腹や足問わず容赦なく攻撃され、おれはすぐにズタボロにされる。
単純な痛みというのは、体以上に心を削るものらしい。
連続して感じる力強いダメージに、おれは後悔にも似たような感情を持つようになった。
荒谷の恋に興味はないが、こんな痛い思いをするくらいなら、福田と仲良くなるんじゃなかった…
お笑いなんて、おれにとってはやはり不要だったんだ…
荒谷は、まだ飽き足らずおれの胸倉を掴んで無理やり立たせる。
そして、脇にある小さな池に向かって、力いっぱいおれの体を押した。
「やめっ…」
「あぶ…」
おれの声と重なって、背後に女子の声が聞こえた。と、次の瞬間、おれと誰かの体はドボンと池に落ちていた。
池とはいえ深さは膝くらいまでだ。背中から落ちたから全身水浸しにはなったが、溺れはしない。
おれは水草に足を取られながらもバタバタと足を動かし、池の中で立ち上がり、新谷を睨む。さすがにおれも限界だ。
しかし、おれの目の前にいた荒谷は、さっきまでとは打って変わって真っ青だ。彼は、おれの背後を見て硬直していた。
振り向くと、そこにいたのは、おれと同じく全身ずぶ濡れの…福田だ。
「福田!なんで…」
おれはギョッとなった。
「えっへへへ。いやぁ、やばそうだから止めようと思ったんだけど、間に合わなかったね」
彼女の制服もおれと同じく全身泥だらけ。いつもはやわらかいその髪も、池の底にあった落ち葉や水草が絡まり合い、見るも無残な姿になっていた。
しかし彼女は笑顔で、頭をかいている。おれは目の前の光景が信じられなかった。
と、おれの背後から足音が聞こえた。見ると荒谷は何も言わずに走り去り、あっという間に校舎の中へと消えた。
「あ、荒谷のやつ謝りもしないで!」
福田は荒谷の後ろ姿を見て憤慨している。
「…なんで」
「ん?」
福田はおれに顔を向けた。
「なんで福田はおれをかばってまで…そんな姿になってまで…」
「なんでって…なんでだろうね。未来の相方が気になった、だけかな?」
福田はそう言って、また屈託なく笑う。
こんな性格のいい女子が、この世に存在するんだろうか…おれは福田が、まるで違う世界に住んでいる人間に見えてくる。
と、おれの肩から「ゲロゲロ」という声が聞こえた。見ると、おれの肩に小さな3~4センチほどのアマガエルが、ちょこんと乗っていた。
さっき池に落ちたときに、くっついたんだろうか。
そのカエルは、ぴょんと飛び跳ねると、今度は福田の肩の上に乗った。
よじよじとおれの方に向き直り、また「ゲロゲロ」と鳴いた。
その様子が、どことなくかわいらしい。
福田がプッと吹いた。
「ほら。この子も、コンビ組めって言ってるよ?」
「カエルが?そんなわけ…」
おれが遮ろうとした瞬間、またカエルは「ゲロゲロ」と鳴いた。
あまりの間の良さに、思わずおれにも笑みがこぼれてしまう。
「あ、笑った…」
福田がおれを見つめていた。その福田の肩には、まだカエルがいる。喉をふくふくと膨らませながら、おれたちを見守っているようだ。
福田の真剣なまなざしとカエルののんびりした仕草が、なんともアンバランスで面白い。
おれはまた、プッと笑ってしまった。そんなおれを見て、福田も嬉しそうに笑う。笑う福田を見て、おれも面白くなってきて、つられて笑った。
なんて不思議なんだろう。次々と楽しいという感覚が溢れてくる。途切れもせずに。
それは、福田の優しさとも相まって、無限に感情を引き出しているように感じた。
おれと福田は、池から出ることも忘れ、ずぶ濡れ、泥だらけのまま、声を上げて笑った。
おれたちの笑い声は、中庭中に響き渡り、青空に吸い込まれていった。
この瞬間、おれの住む世界は変わったと言っていい。
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